2012年4月26日木曜日

キャセイのパイロットはいくら稼いでいるのか

仕事柄いろいろと人事や労務関連の情報に触れることが多い。業界では大手企業をベンチマークとして、採用動向、給与水準や昇給率なんかが決められることが多いのだけど、エアラインのキャセイパシフィックはそんなベンチマーク企業の一つだ。

ここ最近の新聞報道等を見ていると、なんとなく業界の賃金構造が見えてきて面白い。

まず、3月7日のSouth China Morning Postでキャセイがグラウンドスタッフの採用を増やすという記事の中で、彼らのスターティングサラリーがだいたいHK$11,000~HK$12,000だとされている。HK$11,000というと、香港大学卒業の新卒の学生よりやや良いぐらいで、統計局の調査によると香港全体のサラリーの中央値とされている。

続いて3月11日の明報によると、同じくキャセイが1000人のフライトアテンダントを採用するという記事の中で、初任給としてHK$16,000がオファーされる、とある。エアライン勤務だといろいろと手当があるのではないかと思ったのだけど、この数字は全ての手当を含んだ数字だとのこと。HK$16,000だと香港で一人暮らしをするにはかなり厳しい。外国人スタッフの場合は恐らく住居等の手当が別途出ているのではないかと推測できる。

最後に、4月24日のApple Daily他で、キャセイがパイロットの採用を行う予定、との記事が掲載されていた。パイロットになるためには大学卒である必要はなく、日本で言う高校や専門学校にあたるレベルの教育を修了しており、英語が流暢であることが条件とのこと。採用されると、オーストラリアのアデレードで14ヶ月の研修があり、セカンドオフィサーとしての選抜に臨むことになる。研修後のサラリーと手当を合わせると、月給はHK$48,000になる。

ただ、趣味でやっているサッカーのチームメートに、キャセイとドラゴン航空のパイロットが一名ずついる。冗談半分で、きっと10年後はお前ら仕事ないよ、って言っている。雇用の確保さえ気にしなければ、自動化できる職業は世の中にごまんとある。エアラインだって、飛行機の操縦はほぼ自動化されていると言われており、最近起こった事故のほとんどは人的要因であり、人が運行に関わることで危険度が上がっているのではないかという矛盾も指摘されている。10年後は飛行機に乗り込むパイロットなんていなくなっちゃって、地上からモニタを見ているだけになっているかもしれない、と本気で思う。

とは言いつつ、いくらテクノロジーが発展しても、労組がここまで強い業界でそう簡単に仕事はなくならないだろうとも思う。日本と同じで、香港でもエアラインの労組は特に強力だ。コスト、テクノロジー、パワーが複雑に影響し合い、なかなか効率の論理だけでは予想がし難い。

最後に一つ、本日4月26日のApple Dailyから、アメリカーのリサーチ機関によると、一番幸せを感じるのは月給HK$32,000をもらっている人、というニュース。このあたりの給与だと、丁度ワークライフバランスをとることが可能だということのようだ。これより下だと経済的な負担が大きく、これより上だと、労働時間が長くなる傾向があるとのこと。確かに個人のサラリーとして5万も6万ももらっている人は、家族を顧みずに働いている人も多いし、2万ぐらいだとマイホームとは一生縁がないかもしれない。3万を越えると、マネジャー職ではあるものの経営を担うという程ではなく、世帯収入で5万から6万程度になり、余裕というほどではないにしても、子供を育て、ローンを組んで自宅も購入でき、年に2回ぐらいは海外旅行に行ける、というレベルに達するのかもしれない。


2012年4月13日金曜日

バンコクへGO!

先週のイースターの休暇を利用して、久しぶりにタイに行ってきた。
香港からタイは日本に帰るより近く、3時間もかからない。この時期は大量の香港人がタイに向かうので、飛行機は満席に近く、知人でも何名もバンコクやプーケットに出かけた人間がいた。

一緒に行った香港人は既に何回もバンコクを訪れており、最初に行ったのは高校生の時に社会人一年目の姉と行ったとのこと。タイ、台湾あたりは、香港人にとっては週末に気軽に出かけられる目的地で、東京に住む人にとっての伊豆や草津とたいして距離感は変わらない。香港内にそれほど出かける場所がない、ということもあるけれど、こうやって若い内から海外の文化に触れる機会を得ているとも言えるのだなあ、とふと思う。日本もようやく格安航空の普及で上海や韓国は気軽に行けるようになってきている様子。若いうちから是非海外に出て、心理的な距離感を縮めていくべきだ。

さて、今回はバンコク市内を自転車でツアーをしてくれるFollow Mewww.followmebiketour.com/)という参加した。普段なら踏み込むことはないと思われるバンコクの下町の路地を通りながら、仏教の寺、かつての税関、数少ない教会等を案内してくれる。自転車のまま渡船に乗り、チャオプラヤー川の反対側に渡ったり、途中の市場や小さな貿易会社の集まる中華街を通り抜けたり、華僑の墓地を訪れたりと、普段の観光では目にすることがないバンコクの一面を目にすることができた。

















最も印象に残ったのは、イタリア人の建築家によって建てられたというかつて税関だった建物。現在はかなり朽ち果て、消防車の脇で消防隊員の寮としてかろうじて使われている。かつてホテルとして再生するという計画があったが頓挫してしまったらしい。こうした歴史的な建物が、保護されずにほったらかしにされているというケースはまだ他にもあるようなので、本格的に保護の動きが始まれば、まだまだ魅力的な観光資産になりうるだろう。













今回はまた、オレゴン大学留学中のタイ人の同級生にも再会。彼女はホテル経営するタイ人の男性と結婚しており、タイ南部に新しいホテルを建設中に、将来のためにバンコクのマリオット系のホテルで修行中とのこと。元々オフィスワークをしていた彼女にしてみれば、深夜勤務もあり、レセプションから始めるホテル業界の仕事が楽なはずはなく、将来のファミリービジネスのため、という彼女の覚悟を見た気がした。

バンコクはいまもホテル建設ラッシュで、ホテルオークラやホリデーインを始め、まだまだ5つ星級のホテルだけでもいくつも建設の予定があるという。Over supplyではないのか、と彼女に聞いてみたけど、そんなことはないらしい。元々欧米人に人気の旅行先であったけれど、新興国からも次々と旅行客が押し寄せ、彼女の働くホテルも稼働率はかなり高いらしい。最近は特にロシアからの旅行客の増加が目立つとのこと。タイの観光関連産業で働く人はたいてい英語の問題はないし、外国人の扱いも慣れている。日本のライバルはここにもいる。世界各国からの観光客の奪い合いに勝ち抜いて行かなければいけないのに、なんとも日本の動きにはもどかしさを感じてしまう。

そういえば自分の一番初めの海外旅行もタイだった。思えばあの時からいつか海外で働いてみたい、なんて思い始めていたような気もする。タイ人、同じ日本人の旅行者、西洋からのバックパッカー等、いろんな人に会って、いろんな新しい発見があった。その後のアメリカ留学も、香港への転職も、海外での修士取得も、原点はあのタイ旅行だったと言えなくもない。旅のスタイルはだいぶ変わったし、余裕もできたけど、今回も相変わらずいろいろと刺激を与えてくれるバンコクだったと思う。