2013年4月9日火曜日

低学歴国家、日本

仕事柄様々な人の履歴書を見る機会が多いのだけど、最近特に力を入れている香港人の管理者層のプロジェクトに関わると、マネジャークラスの求人に応募してくる人の多くが修士以上の学位を取得している。修士を2つぐらいとっている人も決して珍しいわけではない。

日本だと、修士課程は学士課程から継続して進む傾向が強いが、香港では決してそうではなく、一度社会に出てから修士取得のために大学に戻る人、仕事を続けながらパートタイムで取得を目指す人、様々だ。そのため、主要な大学のほとんどでパートタイムの修士課程が非常に充実しており、平日の夜、週末の時間に授業が取得可能になっている。更に、英国やオーストラリアの大学が、定期的に教授を香港に派遣して、地元大学の教室を借りて授業を行ったり、完全ににリモートでウェブベースで修士が取得できたりと、選択肢は幅広い。MBAだけを見ても、HKUST, HKU, CUHKを筆頭に、理工大学、城市大学もMBAのプログラムを提供しているし、海外大学のプログラムで香港での受講が可能なものを含めると、その数は軽く10を越えてくると思われる。単純に一プログラムあたり80人の学生がいるとして、フルタイムも含めて15のプログラムがるとすると、毎年1200人もの人がMBAを取得していることになる。やや安売りし過ぎではないかと懸念するぐらいだ。他の専門を含めると、東京より人口の少ないこの都市で、それこそ毎年何千人、もしかすると1万を越える人が修士課程を修了しているかもしれない。最近友人の一人がMaster of Science in Information Technology in Educationという香港大学の修士課程を修了した。つまり、テクノロジーをどう教育の現場で生かしていくのか、というかなりニッチなコースなのだが、それでも数十人のクラスメートがいたとのこと。彼女は今は、香港のインターナショナルスクールで、AppleやGoogleと協力しながら、子供達向けのIT教育の質の向上に努めている。

さて、こんなにも人々が修士学位の取得に熱心なのは、何も香港人が特別に知識欲が高く、勉強熱心だというわけではないと実は思う。いつも思うのだけど、日本では電車に乗っている間に本を読む人が非常に多く、会社内でも常に新しい知識や技術の習得に励む人も多く、玄人はだしの知識を持つ趣味人もたくさんいる。ただ、年功序列、終身雇用がまだ前提として認識されている日本では、社内での功績や認知は重要だとしても、外部機関での資格や学位が重要視されることはあまりないのではないだろうか。一方で、日本以上の学歴社会であり、かつ非常に流動性のある労働市場を抱える香港では、社内での昇進や昇給のみならず、転職の際にも学歴や資格は非常に大きな影響力を持つ。例えば、クラスメートの一人は、社内での昇進に必ず必要だからMBAを取りに来た、とはっきりと言っていた。彼の所属する組織では、修士を持っていることは当然で、博士課程を修了している人もごろごろといるらしい。一流の会社で出世コースを目指そうと思ったら、日本では「一応大学ぐらい出ておきなさい」だが、香港では「修士ぐらい取っておきなさい」なのだ。そうなると、修士が現実的に「役に立つのか」という議論はあまり意味をなさなくなる。もう持っていること自体が前提なのだ。まさにどんなに優秀な頭を持っていても最終学歴が高卒では一流銀行の出世コースのスタート地点にも立てないのと同じ論理だ。

なので、修士取得者である香港人は、能力的に学士出身の日本人サラリーマンより優れているかというと、もちろんそうとは限らない。仕事の能力と学歴は関連ないとは言わないが比例するものでもなく、修士を取得していなくても実戦で経験を積んだ素晴らしい能力を備えている方はたくさんいる。そもそも修士レベル、特に文系の修士では、取得したとしても何かの能力やスキルが飛躍的に伸びたりするものではなく、むしろ物事を大局から見るスタンスや事象の切り分けのフレームワークを認識し、最先端のトレンドや未知の領域への効率的なリーチ、そして人のネットワークを含めたリソースへのアクセスが得られる利点が比較的大きいように思われる。

では何が問題になってくるかというと、学歴という確立されたと言ってよいであろうフレームワークを当てはめると、海外に進出する日系企業の中では社内での逆転現象が発生する可能性が高い、ということだ。日本では東大、京大、早慶出身で社内の出世街道まっしぐらのエリートでも、海外に駐在に出てみると、現地拠点の課長・部長レベル、つまり部下になるような層に、ハーバードやケンブリッジとは言わなくても、欧米や現地のトップ校レベルの修士を取得したスタッフがごろごろいる状況に直面する。自分は気にしなくても、相手は気にするものなのだ。「今度来た日本人の上司は、日本のなんとかという大学出身みたいだけど、Master Degreeは持ってないらしいよ。」という目で見られてしまう。それはあたかも日本国内で、「技術部の〇〇は仕事はできるけど、高専の出身だから出世できないだろうなあ。」なんて高をくくっている自分たちの姿なのだ。まあ海外拠点で日本人駐在員が現地の社員と出世を争うということはないだろうけど、実は現地の社員から、自分たちより学歴が低いのに、という色眼鏡で見られている可能性がないとは言えない。総じて修士まで出た人は英語が堪能だったりするので、もし自分が英語が苦手であればなおさらである。

そんなわけで、日本企業は新卒採用の時に限らず、社員の学歴マネジメントというのが必要になってくるのではないだろうか、というのが最近考えていることだ。海外勤務の可能性が高い社員には、英語のスキルを磨かせることはもちろんのこと、修士学位の取得を目指させる。海外での修士学位の取得をサポートすれば英語も伸びて一石二鳥だ。既に韓国企業などはこういう動きがあるように思える。自分の通ったHKUSTのMBAにも、韓国の銀行から幹部候補生が何十人も送り込まれて来ていた。正確に言うと彼ら向けの特別プログラムがデザインされているようなので、MBAそのもののコースを修了するわけではないようだけれど、一応アジアNo.1と言われるMBAのクラスを含む高等教育を修了したというのは、今後アジアでビジネスを展開していく上では箔がつくのではないだろうか。もちろんこんな不毛な学歴競争になんの意味があるのか、とか、ただの学歴バブルではないか、という批判はあるだろうけど、現実的には、みんながやっていることをやらなかったらその時点で圧倒的不利になってしまうという状況になりつつあると思う。日本の受験システムは気に入らないので自分は義務教育後は独学で頑張る、と言ってみたって、大多数の人は結局は社会に受け入れられ難いのと同じことだ。ある程度は割り切って現実を受け入れ、その中でどう効率良く見栄えの良い、また希望的には実のある学歴をデザインしていくかということは、海外との関わりにおいては非常に大事になってくるのではないだろうか。個人が転職や高等学位の取得を自発的に目指す海外とは異なり、一つの企業に長く勤めることを期待される日本では、個人の希望だけではどうにもできないことなので、どうしても雇用主側のサポートが欠かせない。海外に活路を求めると腹を括った日系企業にとっては、社員教育、キャリアデザインの一環として、海外での修士学位の取得サポートというのは、検討に値するテーマではないだろうか。